遊ぼうかいぷらす

遊ぼう会

1996年11月1日、東京都江戸川区西葛西でスタートしてから20年余り。

禁止事項のない、子どもたちのやりたいことができる遊び場を

と、子育て中の4人の母親が立ち上げた遊ぼう会。

立ち上げまでの会議も準備も、子どもたちが駆け回る保育園のような自宅で毎日毎日行なっていました。

「禁止事項のない遊び場」と一言で言っても、命に関わるような危険な場面では「ダメよ!」と言わなければならないでしょう。しかし、それでもなお「ダメよ」を言わない場づくりって?来る日も来る日も話し合いました。

考えうる様々な危険と、それでもワクワクできる場とのギャップに悩み、出した答えは

とにかくダンボールを集めてみよう、何かできるはず

ということでした。

夜な夜な子どもを寝かしつけては、閉店直後のドラッグストアやスーパーマーケットから出されたダンボールを回収し、1ヶ月で回収業者さんもびっくりするほどのダンボールを集めたことは、今でも鮮明に覚えています。

4人とその家族で始めた発見きちも、周りのお母さんや地域の方に支えられ、少しずつ少しずつできることが増えていきました。

20年の間に、発見きちで育った自分たちの子どもは大人になり、そろそろ孫の顔が?という時期になりましたが、関わった人たちの交流は今でも続いています。

 

H30年7月西日本豪雨

そんな中、H30年7月西日本豪雨によって、初代代表がuターンした広島県は広範囲で甚大な被害を受けました。

すぐに被害のひどかった三原市本郷町船木地区で災害ボランティアを開始した初代代表の元に、応援の声ととにもたくさんの支援金を寄せてくださったのは、江戸川遊ぼう会で繋がっていたメンバーでした。

今回の西日本豪雨災害発生直後から「赤川さんは大丈夫なの?」と連絡が入り、私の状況と動きを知った江戸川の人たちが「元江戸川区民・市民活動仲間への動資金カンパのお願い」を呼びかけくださいました。

その呼びかけを聞いて、ずっと昔にお世話になった方々、子育て仲間、市民活動仲間をはじめ、その方たちを通して多くの方からたくさんの支援金をお預かりしました。

私が江戸川に住んだのはたったの9年。そして広島に帰ってもう20年以上。忘れられて当然の月日が流れているのに、こうして各方面から支えていただいていること、支援の連鎖と江戸川の底力を感じます。

「送金できなかったけど、これも預かってるよ!」と、発見きちの子どもたちから、私を元気にするカンパも預かり、まだまだ復旧、復興への道のりは長いけれど、支えてくださる多くの方に力をいただいて、目の前の現実に向き合って行こう!

そう考え、子育てが終わり、発見きちで育った子どもたちは大人になり、発起人たちはそれぞれの人生を歩んでいる遊ぼう会発起人たちの力を借りて、遊ぼう会ぷらすを立ち上げました。

 

遊ぼう会ぷらす

遊ぼう会は子どもの居場所について考え活動している団体でしたが、このたび立ち上げた遊ぼう会ぷらすは「災害復旧・復興支援ボランティア」として活動を行います。

H30年西日本豪雨災害のボランティア活動を通し、被災されたみなさまの生活全般における継続的な支援を行うため、2018年8月に立ち上げ、9月より本格的に活動をスタートしました。

発災当初から三原市本郷町船木で支援活動を続ける赤川を中心に、三原市本郷町船木をこれまで以上に支援していくために、遊ぼう会OBを中心とした「遊ぼう会ぷらす」を立ち上げ、多世代支援、地域振興のお手伝いをさせていただきたいと考えております。
 
 
船木地域支援センターを拠点に、子どもたちの遊び場作り、交流スペースとしての出張カフェ、物資支援などを中心に活動しています。
 
 

活動支援にご協力ください

 

まだまだ続く支援の輪。

どうぞみなさまのお力をお貸しください!

災害ボランティア活動支援口座

□ゆうちょ銀行
□アソボウカイプラス
□店番 ゴイチハチ 普通
□口座番号 5625509

遊ぼう会ぷらす

 
 

遊ぼう会ぷらすの活動の様子